人としての深み

感じ取られる深み

人間を構成するどのような要素が深みとして感じ取られるのだろうか。

自然と表現された、あるいは故意に表現されたものから何らかの存在を感じられるが実態が掴み切れないもの。
その不透明な存在感の強度が深みの強度と重なるのではないか。
読み切れない、持っている知識や経験からでは推し量り切れない、そんな体験が深みという感覚に置き換えられる。

例えば、
既存の概念を覆し、包摂した概念を提示するような言説。
膨大かつ鮮烈な経験に裏打ちされた含蓄ある言葉。
多様な解釈が可能な芸術や現象。

深みの形成

そのような深みを形成するためにはどうすればいいのだろうか。

深みという印象は、自己の総体としての要素と表現によって演出される要素の二つで構成されていることが考えられる。

深みに寄与するような総体とは、情報を知性が編み込むことによって生じる観念と表現できる。
深い観念まで発展させるための行為には、普遍性や色彩が強い情報と膨大に接することやそれらへの解釈を深めること、複雑な操作を加えることなどが考えられるだろう。

深みを演出できるような表現とは、深い観念の存在を示しながらも、その実際の姿を示さないような表現と言える。
前述の具体例を用いて解説すると、覆すような概念があることを示唆しながらも、どのような概念かは説明しないこと、膨大な経験を蓄えてきたような振る舞いを取りながら、その経験の内容を開示しないこととなる。
浅い観念をこのように表現すると滑稽に写るので注意が必要だ、深浅は個々人の主観に依存するので完全な判断は難しいが。
深みを見込んだ表現は控えるのが安牌だろう。

深みの価値

深みは魅力の一要素としての側面があるが、それとは別に実益に関わるような価値はあるのだろうか。

価値の一つとして深い観念が物事を受け止める際の土壌を整えていることが考えられる。
日々情報を深く編み込んでいくと、編み込まれる前の情報が浅く感じられる。
そうすると余裕を持って情報を受け止めることができるという利点が生じる。

それに複雑に編み込まれた情報は柔軟な出力を実現するはずだ。
編み込まれる過程で情報は様々な刺激を受けるので、実際の状況という刺激に対して柔軟な出力を返すことができる。

深みとは

ばらばらと漂う情報が結び付けられ、編み込まれることによる主観上の奥行きの拡張。

また、情報処理の蓄積によって形成されるという側面がある。

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